丹下健三の自邸 |






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2018年 09月 19日
今月17日で終了してしまったが、六本木ヒルズ森美術館で「建築の日本展」が開催され、歴史的重要建造物から現在に至るまでの日本の建築の流れが分かるように、模型やら説明図面、写真、動画で紹介されていた。
大変興味深く見せていただいたが、その中で特に感銘を受けたのが丹下健三の自邸ー3分の1の宮大工による模型だった。
もちろん以前にも写真は見ていたが、人がかがんで入れる程の大きさの模型が精巧な木組みによって完成されており、しばしじっくりと見入ってしまった。 丹下健三はル・コルビュジエのもとで建築を勉強し、日本を代表する建築界の巨匠である。生前2回に渡って都庁の設計を手がけ、2回もオリンピックが開催される彼の代表作代々木体育館、大胆なシェル構造の屋根を持つカソリックの礼拝堂そして大規模な都市計画を世界中で実現させた天皇的存在の建築家である事はどなたもご存知だと思う。 その建築家の自邸(現存しない)は、日本の伝統工法を取り入れたシンプル且つ大胆な木造2階建ての住いだった。建築家の自邸は常に挑戦的であり、仕事ではなかなか実現できないことを試作してみる、言ってみればその人の本音ー一番やりたい事がでるものである。 丹下健三の建築の美しさは、常にその構造と共にある。構造の美しさを建築の最も重要なコンセプトにしている。まさにその自邸は日本の木造建築の構造そのものの美しさだ。一方ル・コルビュジエの建築に多く見られる1階を開けさせるピロティーを木造建築に採用し、又外廻りの回廊はキャンティで迫り出させているところなど、斬新である。 展覧会の中での撮影の為、全体が取れず部分的ではあるがご紹介したい。 ![]() 宮大工によって精巧に木組みを再現している ![]() 平面は典型的な日本民家の田の字型で南に広縁がある ![]() 1階はピロティーとなっている高床式 広い敷地を建物で切ってしまうのではなく、アプローチから入ると前面の広い芝生の庭が広がる。 ![]() 1間半をモデュールにしている。 普通は1間である為、奥の引き違い障子をみると巾広であり全体をダイナミックに見せている。 日本の構造はこの畳モデュールが基礎となって、日本人に心地よい空間を提供してきた。 外廻りはなるべく低く抑え、内部は屋根の勾配とともに迫り上り全室一体となって豊かな空間を作っている。 ![]() ![]() 建築写真家村井修氏は丹下健三のほとんどの建物を撮影し有名になった方だ。生前村井氏が私達に丹下健三とのエピソードを話して下さった事がある。表参道の大通りを村井氏が歩いていたら、丹下健三が反対の歩道を歩いていて村井氏に気がつき、わざわざ大通りを渡って村井氏に挨拶に来たという。村井氏は大変驚いて恐縮してしまったが、丹下健三は常に低姿勢な親しみのある人だったと語って下さった。今このエピソードを思い出してみると、わざわざ大通りを渡って挨拶に行く、という行為はとても普通ではできることではない大胆かつ人への愛情の強い方だったのではなかろうか。 ▲
by matsui-ken
| 2018-09-19 11:31
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2018年 07月 03日
イタリアの旅の玄関口であるミラノ、必ず2泊するが、いつもこの二つの建物が見れるミラノ駅前の安宿に泊まる。ホテルに着くとこの二つが見れる部屋を条件にする。
一つはフランクロイドライトが「世界で最も美しい駅」と賞賛したミラノ中央駅。今から87年前1931年落成した。コンペで勝ち取ったウリッセ・スタッキー二という建築家の作品。ムッソリーニ時代を見せつけるかのような石積みの迫力ある重厚な建物。各所に当時の石職人による綿密な仕事を見て取れる。イタリアの建築技術を近代に受継いだ傑作である。 この25年後に、もう一つ非常に洗練された高層ビルがこの重厚なミラノ駅の目の前に誕生した。イタリア建築の巨匠ジオ・ポンティによるピレリ・タワーである。わずかミラノ駅から25年後に今でも通用するモダンな高層ビルが建てられたとは、当時のイタリア人も驚いたと思う。 ジオ・ポンティはミラノ育ちでミラノの工科大学を卒業している。生まれ育ったミラノには世界的に有名なゴシック建築のドーモや美しいアーケード街がある。歴史的重要な建物に囲まれながら育ったにもかかわらず、何故こんなにも洗練されたモダンなデザインが生まれたのだろうか? 船底の形をした平面を持ち4層に分かれ、中央と先の尖った両サイドに階段室とエレベーターがある。 この建物の完成後、似たような高層ビルがどんどん出現したが、これほど洗練されたものはない。 ![]() 入口も薄いコンクリート板が口を開けたように突き出している。 この建物地下に2層分のドライエリアがあり、その深い地下部分からこの建物は立上がっている。 ![]() 窓のモデュ−ルが美しいミラノのシンボルタワー 横サイドのスリムな写真がないので、このリンクサイトで見て下さい。ピレッリ高層ビル ミラノを出発して、マントヴァ、ボローニャ、フィレンツェ、シエナ、フェラーラ、ラベンナ、ベネツィア、ヴェローナを廻る。 沢山の建築が私達を待っている。 ▲
by matsui-ken
| 2018-07-03 09:44
| 紹介したい建物
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2018年 03月 20日
久しぶりに静岡の石水館(芹沢美術館)に行ってきた。登呂遺跡のある公園の奥にある。外からではゴツゴツした巨石の塀しか見えない。建物を極力低くし公園の一部となっている。石と石の塀の間を斜めに通りすぎると、目の前に1本の木と噴水が見える。美術館中央に位置する池の中庭である。内部はナラの無垢材を天井にふんだんに使い、美術館としては低い天井高になっている。重厚で落着いた空間に足を踏み入れると、誰でも静かに歩みはじめる。すばらしい演出である。この美術館を設計したのは、前にもご紹介した白井晟一で1981年の作品である。施工は大成建設。
この難しい精度と技術が必要な工事の常駐監督を行ったのは清野さんとおっしゃる。難しい白井晟一の希望を可能にした誠実な監督で、後に「石水館」という本の中で白井晟一は清野さんの事を大変褒めていた。 私達が建築をはじめた時期、創作館と音楽堂の現場の最後の監督として清野氏が担当して下さった。その時現場の空気がガラッと変わったのを今でも鮮明に覚えている。朝一番で現場に来られ、まず脇目もふれず工事現場に行く。そして全てを一にらみし状況を頭に入れる、そして私達との早朝打合せを毎日行った。清野氏は熱心にこちらの設計の考えに耳を傾け、その可能性を考えてくださった。ここから現場は一気に完成へと向かった。そんな関係があり、石水館に行くとついつい昔を思い出してしまう。 内部は撮影禁止の為、外部の写真のみを紹介します。 ![]() 巨石積みの塀の間を斜めに抜ける。 ![]() 1本の木の向こうに噴水のある中庭が見える。 ここで始めて建物と向き合う。建物は低い。 ![]() こちらは出口。柱はコンクリートであるがハツってある為、石の様に見える。 ![]() 出口を見る ![]() 自然石の力強さと重厚さ 外部は韓国産の御影石、内部は北海道産のナラ材がふんだんに使われている。 原建築を見るようだ。 ▲
by matsui-ken
| 2018-03-20 16:49
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2016年 10月 03日
カステロ・ベッキオは14Cに城として建てられ、その約700年後1964年イタリアの建築家カルロ・スカルパによって当時の彫刻、絵画等を展示する博物館として改修された。
ロメオとジュリエットの舞台となった北イタリアのベローナにあり、私達がイタリアを旅行する時必ず訪れる。スカルパの建築は既に何回かこのブログでも紹介したが、カステロ・ベッキオは規模が大きく、内容からいっても全体構成からビス一つの細部に至まで密度が濃い。
母体である14Cの城の重厚さと優れた職人による近代技術の技が上手く融合し、あたかもこの博物館の為に建てられたかのような錯覚さえ覚える。 ▲
by matsui-ken
| 2016-10-03 10:09
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2016年 05月 13日
今回のゴールデンウイークを利用して、奈良と京都の古寺巡礼に3泊4日で行ってきた。年に何回か訪れる奈良、京都であるが、法隆寺には3回のうち1回行く程度で、毎回行くには少々離れている。今回は久しぶりの法隆寺拝観を大変楽しみにしていた。 というのは、1ヶ月ほど前神田の古本屋街を散策していた時、店頭のワゴンの中から見つけた「古寺解体」という古い本を購入した。最初の写真に驚いてしまった。戦時中行われた法隆寺五重塔の解体工事の時に現場で取った著者浅野清氏をはじめとした技術者、職人達の集合記念写真で、皆目がぎょろっとして頬はこけ体はやせ細っている。ちょうど「法隆寺の鬼」と呼ばれた宮大工西岡常一棟梁と同時期である。その写真には西岡棟梁はいなかったが、肉体的にも金銭的にも厳しい時代の古寺解体作業であったことが十分伺える。昭和の法隆寺に命を捧げた再生工事の内容が書かれていた。 法隆寺の魅力は何といっても西院伽藍の建物群の配置と間の美しさにある。 (写真が斜めですいません)この図は建設当初の配置図で、講堂の手前で回廊は金堂と五重塔を囲んでいたようだ。確かにこの方が厳かな空間となるかもしれないが、私は今の経蔵と鐘楼を、さらに講堂を回廊が結び囲んでいる方が、空間に膨らみができいいと思う。
![]() 経蔵と結ばれた回廊を見る。 ![]() 柱は桧丸太を膨らみをもたせて削り、自然石の上に立つ。 ![]() 庇を通し、絶妙な間隔で並ぶエンタシスの柱から入る斑鳩の光。 ![]() 法隆寺は何といっても格好いい! ▲
by matsui-ken
| 2016-05-13 10:11
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2016年 01月 11日
スペインの北部、何もない耕地の中にポツリと佇んでいる教会がある。
20年ほど前、主人と赤いプジョーのレンタカーを借りて、スペインのピレネー山麓、北部を廻った時に出会った。 スペインロマネスク教会の本で見ると必ず載っているこの教会は、最初から訪れるコースに入ってはいたものの、苦労してようやく探し求めて辿り着いた時、「えっ!」と第一声を発してしまった。 車から降りてしばし呆然と見ていると、通りがかりの農夫風の人が「この教会は今閉まっているけど、午後2時からなら開くよ」という。「えっ!」と第2声、まだ午前11時頃のことだった。
![]() ![]() ぐるっと廻って正面に立って見た時、美しい列柱の回廊があった。 午後2時まで待つ事にした。 ![]() 教会ではあるが、このアーチの形は典型的なイスラム教の形で半円より大きく回り込んでいる。 そして柱は色々な模様の大理石で細く、柱頭、柱脚、柱の高さといいプロポーションをしている。 ようやくおばさんが鍵を持ってやってきて扉を開けてくれた。無料だった。 ![]() 中に入ってビックリした。今まで体験した事のない繊麗された空間だった。 ![]() さほど広くない空間に3列同じ間隔で大理石の柱が並ぶ。 1本1本違った模様の沢山の大理石の柱の為に用意された空間のようだ。 ![]() ▲
by matsui-ken
| 2016-01-11 09:33
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2015年 10月 26日
![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by matsui-ken
| 2015-10-26 08:30
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2015年 10月 06日
河口湖から富士山に登り始めた森の中に富士ステージという建物がある。若きも老いも集い、芸術、建築、音楽を語り合い、飲み、食べ、寝食を共にし、学び合う場所として25年位前に一人の夢多き、男のロマ ンを実現させた人がいる。私はその完成当初に友人に誘われて、ここで建築仲間と寝食を共にした事がある。
あれから25年、昔はどうなっているかと山荘に来ると思い出した様に見に来ていたが、だんだん使われている気配がなくなり、建物の各所に無理もあり、早くも朽ち始めてきて私達もあまり訪れる事はなくなっていった。
ところが、去年の秋、偶然にもその隣にアトリエがある彫刻家−深谷泰正氏を訪れ、彼の作品ースイマーを購入した時、久しぶりにこの建物を訪れて再び輝き始めたのを見てびっくりした。 深谷氏に尋ねたところ、彼も所属している美術プロヂューサーで空禅想の社長の磯貝ひさみ氏と共にここをギャラリーとして甦らせているという。深谷氏は隣に住んでいることもあり、職人さん達と一緒にペンキ塗りから雨漏り補修にまで携わった。 先週末、深谷氏の丁寧な案内を受け、ギャラリー空禅想を拝見させていただいた。 ギャラリー棟は木造4階建ての螺旋状の塔になっていて、周り階段を登りながら、様々なジャンルの作品を楽しみながら見ることができる。実に楽しい!光の入り方もまちまちでどこにいてもワクワクしてくる。ステンドグラス、石彫刻、鋳物作品、染色織物、ガラス作品などなど色々な作者による作品が飾られている。もちろん購入する事もできる。まだこのギャラリーははじめたばかりのようであるが、これから沢山の人達が訪れる様になるだろう。 ▲
by matsui-ken
| 2015-10-06 13:32
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2015年 07月 27日
![]() 礼拝堂への通路ーこの通路からストーリーがはじまる。 建築が詩である事をググッと歩きながら感じる。 水、草、造形そして音がある。 ![]() 一般者の墓を中央にパビリオンとブリオン夫妻の墓を結ぶエントランス通路 この通路歩くとメロディーが流れる仕掛けがある。 ![]() 水に浮かぶパビリオン ![]() パビリオンからの水が水路を通って夫妻の墓まで流れる。 ![]() 夫妻の墓は、円弧の天井に覆われている。 ![]() 夫妻の墓を見る ![]() 渋谷区の建築設計事務所−松井建築研究所 ▲
by matsui-ken
| 2015-07-27 09:34
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2015年 06月 25日
あまり読書はしない方なのだが、松井が買ってきた夢枕獏の長編小説「シナン」を一気読みしてしまった。
その冒頭に「一体神はこの世にいるのか?」と少年シナンが神父様に尋ねると、神父は「いる」と答える。「どこにいるのか?神父様は見たのか?」と尋ねると神父様は「イスタンブールのハギア ソフィアで見た。」と答える。 数奇の運命を辿ったイスタンブールのハギア ソフィアは、西暦537年2回の焼失を経て今の建物が出来上がった時はキリスト教の礼拝堂であった。しかしその後1453年、イスタンブールはオスマン帝国に支配され、ハギアソフィアはそのままの形でモスクとなった。ちょうどモスクとなったその時代をシナンは大建築家として100歳まで生き、後半生50代から死ぬまで400以上の建造物とモスクを建てた。常にハギア ソフィアが波乱万丈のシナンの運命と建築創作の重要な場所となっていく。夢枕獏氏が、建物と人間との運命的出会いを根底に、その激動の時代を上手く描写していておもしろかった。 私は30年程前ドイツから帰国する前に主人とキャンピングカーでトルコを廻った時の事を思い出し、その時取ったスライド写真をスキャンしてみた。その旅のハイライトはやはりイスタンブールで、ハギア ソフィアに初めて1っ歩踏み入った時、強烈な感銘を受けた。 直径32mあるドームの壮大さ、光の強さ、上にも水平にも広がる膨らみ、決して閉ざされた空間でなく開かれた礼拝堂であった。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by matsui-ken
| 2015-06-25 15:02
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